宙に浮かせていた洗濯機が落ちてしまった。正確に言うと、人工の滝として脚立に洗濯機を固定していた紐や結束バンドがとれかかっていた。そこで洗濯機の中に水をさらに入れていったところ、脚立から重さに耐えかねた洗濯機が転げ落ちた。下にいた友人が洗濯機内に溜まった水を体の正面で浴び、びしょびしょになった。怪我がなくて良かった。「現代都市型滝行」と言うと友人に怒られるだろう。そこには意外なハプニングから来る驚きと友人に対する申し訳なさ(罪悪感)、喜劇的な笑いが複合する何とも言えない感情の放出があった。出てくる感情はいつも一つとは限らない。
Γαῖαは世界を作ったと言われている。人間はこの出来上がった世界の中に投げ込まれた存在であると、ハイデガーは言う。そんな世界の一部を弄りたいと思い、この下高井戸の屋上で、あわよくば宇宙との交流を図ろうとしている。人工の滝の後ろには、砂場があり、その砂場に色々な物を埋めてみた。もともと屋上に放置されていた物たちで、サランラップに包まれたダイコンとりんご、カラカラに乾燥した笹の茎、焚き火で残った炭木、友人からもらったサボテンなどを埋めたというよりは、隠したと言う言葉が適切かもしれない。しかしさっき触れた悲劇かつ喜劇により、何故かサボテンがバラバラになってしまった。
土の神であるΓαῖαから「空を飛んでばかりいると危ないですよ」と言われているように感じた。地に足をつけてみようと思うのだが、7月からは空飛びの会が始まる。だから、また洗濯機を宙に浮かせてみようと考えてしまう。できたら安全に安心した形で空を飛んでもらいたいが、ふと「安全と安心はイコールではない」と誰かが言う。幻聴かなと思いながら、安全でないことをして安心する人間も多いことを追想する。
去年育てたトマトの鉢がふたつ残されているのだが、ひとつはタワー化した雑草が一本大きく育ち、もうひとつは、実ったトマトを食べずに放置したら、トマトの実が土の上に落ち、自然に芽が出て、茎がどんどん伸びてきている。垂直方向に伸びて、思い上がる雑草の鉢にたくさんの水を与え、「しりとり」のように、トマト→トマト→トマトと続いていくトマトの鉢には、少しの水にしておく。
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