ここに脳みそとしか思えない、洗濯機のモーターがある。電気系と神経系の類似性はなんとなく想像できるだろう。
この洗濯機は、ある病院のある研修医が使っていた洗濯機である。この研修医の名前をMとする。Mはこの病院のために色々と尽くした。この病院が魅力的になるように、見学に来た医学生に熱心な対応をした。そしてこの病院に2年間貢献した。しかし、この病院は、Mを見捨てた。Mはこの病院に残りたい気持ちを示していたが、この病院には残れないと言われ、他の病院にいくことになってしまった。
この洗濯機は、長い間この病院の物置みたいな場所に2年間ほど置かれていた。その後、邪魔とレッテルが貼られ、捨てられそうになってしまったところを私が引き取ったのだ。
この洗濯機には型番があるが、この洗濯機はMと生活を共にした特定の洗濯機であり、それ以外でもない。その後、洗濯という機能は残されていた洗濯機が捨てられようとしていたのだ。そうなると、洗濯機は洗濯しようとする人間がいないと、生きていけないのか。そんなことはない。洗濯をしない洗濯機も、そこに存在することはできるはずだ。
この神殿に来て、空を飛んでいた洗濯機は、洗濯機とは言えないのかもしれない。しかし、飛んでいた洗濯機は転げ落ち、今や洞窟の中まで下っていった。さらに解体された洗濯機は、器官なき洗濯機となり、屋上の空間の中に洗濯機の身体が散りばめられた。
これは、どういうことになるだろうか。死んでいる身体とはいうのは、生きている身体というのは、どういうことか。人間が病院で命を落とした時に死亡確認という儀式をやる。それは瞳孔反射、肺音、心音の3点の確認である。ちなみに電源コードにこの洗濯機モーターを繋ぐと動かすことができる。これを死んでいると言っていいのか。しかし、どう見ても墓場にしか見えない。ああ、いつ死んでしまったのか。私にはわからない。でも死んでいるとしても、そこに存在できることはわかったような気がする。そう、この屋上の空間の中で別の器官として復活と消滅を繰り返すだろう。
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