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機械人間のための「ルーレット」と火

機械人間のための「ルーレット」と火 〜迦具土の会のための宣言〜

電化製品(機械)であるわたしとワタシのあいだ

わたしは私、あなたは貴方 わたしはアナタ、あなたはワタシ わたしは私、しゃかいは社会 わたしはシャカイ、しゃかいはワタシ わたしはそらを飛び、あなぐらで絶望する わたしは火をおこし、住みかをつくる

言葉のルール(ビンスワンガー『精神分裂病Ⅰ』より考案): ひらがな=自己世界 漢字=共同世界 カタカナ=超越世界 実体=環境世界


私たちは、火というものが、実生活にどのように浸透しているのか、解るところもあれば、解らないところもある。電気の一部も火から作られていることは知っているが、実際に火から電気になるまでの経路を全て説明できる人は多くない。 火を使って人間を助けたプロメテウス、自殺のため火山に飛び込んだエンペドクレス、黒沢清の映画CUREで火を用いて催眠殺人をさせる伝道師など、火は現実世界の中で人の生死と接点を持つため、神話や御伽噺などに使われてきた。そして「古事記」でも電気の神であるタケミカヅチ(武甕雷)は、火の神であるカグツチ(迦具土)の血より生まれたと言われている。

また、火は人間にとって「自己の存在」を回転させる「ルーレット」の役割もある。それは、イルゼが両親を仲直りさせようと、暖炉の火の中に手を入れた行為(ビンスワンガー『精神分裂病Ⅰ』)を思い返せば、想像できることだ。火は、自己や他者の存在を良くも悪くも揺らしずらしてしまう賭博的な要素があるのだろう。それは「火遊び」という言葉からもわかり、チャンスにもピンチにも転がりうる。

一方、日常生活で火がなくては、料理もできない、発電もできない、それじゃ心臓も動かせない、本当に生きていけない。ここでハイデガーがいう「道具的存在(自分の身の回りにあるモノの存在)」と「現存在(自分が死へ向かう存在)」とのあいだに立ち返ってみたい。そして身の回りの生活空間における火と死について、火を目の前にして無意識に身体的に考させられ、それとは全く関係のないコトを意識的に考えてみる。それらはビンスワンガーの言う「理想の追求」という「垂直」方向と「経験の広がり」という「水平」方向にトラス構造を作るような試みになるか。また「回転木馬」のような世界をずらす装置になるのか。そんな実験を続けていく。


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