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2月25日(金)

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電気神殿メタコイノン

波邇夜須会(2月)

神殿という場所で、土をいじりながら、皆でお話するだけのものです。滞在可能な人数は5名で、人数制限のルールがございますので、下記の「イベントについて」でご確認ください。もしご興味がありましたら、お早めにご連絡ください。月1回(第4金曜日夜)の定例行事となっています。4−6月は焚き火(軻遇突智会)、7−9月は滝落ち(罔象能売会)、10−12月は空飛び(志那都比古会)、1−3月は土興し(波邇夜須会)を予定しています。

お申し込みの受付は終了しました。
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波邇夜須会(2月)
波邇夜須会(2月)

日時・場所

2022年2月25日 13:00 – 18:00

電気神殿メタコイノン, 日本、〒168-0073 東京都杉並区下高井戸1丁目2−15

内容

行事:

波邇夜須会

日時:

第4金曜日 13時~18時 出入り自由

場所:

東京都杉並区下高井戸1-2-15下高井戸ビル5F電気神殿メタコイノン

料金:

無料

主文:

神殿という場所で、ただ土をいじりながら、皆でお話するだけのものです。

たくさんの方にお越いいただければ幸いですが、以下の注意点があります。

電気神殿メタコイノンでは、コミュニティ空間の実験を行っています。土興しの会ではコロナウイルスの影響やコミュニティ空間の維持のため、人数制限をするしかない状況に置かれています。そこで、空気をテーマにしたこの会で「人身御供」を行います。要するに誰かに帰ってもらう儀式です。

土興しの会における「人身御供」のルールは以下になります。

①人数制限は5名。出入り自由。

②6名以上になったら、誰かに帰ってもらう。

③帰る人がいなければ、ゲームで生贄を決め、その者に帰ってもらう。

④その者は、その日のうちは神殿に立入りすることができない。

⑤その者は、Zoom参加できる。(帰った方のみZoom参加可能:死者からの眺め)

※例外として緊急時はそのルールを変えることができる。

もしご興味がありましたら、お早めにご連絡ください。tokyo.mental.cleaner@gmail.com

月1回(第4金曜日)の定例行事となります。

今回来殿できなくても、次回の来月来殿して頂ければ幸いです。

注:

感染対策として、マスク着用必須で、体調の悪い方の出入りを禁止します。

当宗教は個人の信仰の自由が尊重され、他者への勧誘や寄付金の請求などは一切行っていません。

また、当宗教の継続や加入もお勧めしません。

以下は、今回のイベントの説明文になりますので、ご興味のある方のみご参照ください。

副文:

○○○○○○○○

機械人間のための大地と意志

〜波邇夜須会のための宣言〜

電化製品(機械)であるわたしとワタシのあいだ

わたしは私、あなたは貴方

わたしはアナタ、あなたはワタシ

わたしは私、しゃかいは社会

わたしはシャカイ、しゃかいはワタシ

わたしはそらを飛び、あなぐらで絶望する

わたしは火をおこし、スイッチをおす

わたしは水をはり、ワタシをうつす

わたしは空をながめ、トリをよぶ

わたしは土をいじり、カタをつくる

共同体からの疎外はシを意味する

共同体からの逸脱はセイを意味する

モノは人になることができる

ヒトは物になることができない

言葉のルール(ビンスワンガー『精神分裂病Ⅰ』より考案):

ひらがな=自己世界(私だけの想像的世界)

漢字=共同世界(私以外の人もいる象徴的世界)

カタカナ=超越世界(近づけるが辿り着けない神秘的世界)

実体=環境世界(物質的・現実的世界)

私たちは、土というものが、実生活にどのように浸透しているのか、解るところもあれば、解らないところもある。電気の一部も土(地熱)から作られていることは知っているが、実際に土(地熱)から電気になるまでの経路を全て説明できる人は多くない。

ヴィーダ教の神々の道具や武器を作ったり、胎児が望まれた時に人類や動物の肉体を作ったりしたトヴァシュトリ、目線を合わせるだけで石にしてしまうメデューサ、重力と人間の闘争をやり尽くしたアトラス、4元素を駆使して土を捏ね続ける鍛治職人や陶芸家など、土には人間の基盤を作る意志の作用があり、より物質的で堅実に想像力を現実化することができる。それは「地に足をつける」という言葉からもわかる。土は、このように神話や御伽噺、さらに生活の中でも使われてきた。そして「古事記」でも創造の神様であるイザナギノミコト(伊邪那岐尊)の糞便から、土の神様であるハニヨスノミコト(波邇夜須尊)が生まれたと言われている。

精神科の病棟で、時に糞便を壁に塗りつけたり、手で捏ねていたりする行為をみることが稀にある。それを安易に病状が悪いと片付けてしまって良いのだろうか。何か別の大事なことを考え忘れていないだろうか。特に頭を動かさずに、手で土を捏ねていく間に、何かしらのカタができていく。それは水との融合、空気との接触、火との闘争、その後に生まれるものが、もしかしたらわたしとあなた、わたしとせかい、わたしとワタシの間の偶像となるのかもしれない。

ところで、日常生活で土がなくては、植物を育てることもできない、発電もできない、それじゃ呼吸もできない、本当に生きていけない。ここでハイデガーがいう「道具的存在(自分の身の回りにあるモノの存在)」と「現存在(自分が死へ向かう存在)」とのあいだに立ち返ってみたい。そして身の回りの生活空間における土について、土をいじりながら、身体的に無意識的に考え、それとは全く関係のないコトを意識的に考えてみる。それらはビンスワンガーの言う「理想の追求」という「垂直」方向だけでなく、「経験の広がり」という「水平」方向に橋をかけるような試みになるのか。また「回転木馬」のような世界をずらす装置になるのか。そんな実験を続けていく。

参考:

バシュラール「火と精神分析」「水と夢」「空と夢」「大地と意志の夢想」「大地と休息の夢想」、ビンスワンガー「思い上がり、ひねくれ、わざとらしさ」「精神分裂病Ⅰ」、木村敏「分裂病の現象学」、ハイデガー「建てる・住まう・考える 建築論」「存在と時間Ⅰ・Ⅱ」、ドゥルーズ+ガタリ「アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症」

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