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罔象能売会(9月)

9月24日(金)

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電気神殿メタコイノン

神殿という場所で、ただ滝の水を見て、皆でお話するだけのものです。滞在可能な人数は5名で、人数制限のルールがございますので、下記の「イベントについて」でご確認ください。もしご興味がありましたら、お早めにご連絡ください。月1回(第4金曜日夜)の定例行事となっています。4−6月は焚き火(軻遇突智の会)、7−9月は滝落ち(罔象能売の会)、10−12月は土興し(波邇夜須の会)、1−3月は風光(志那都比古の会)を予定しています。

お申し込みの受付は終了しました。
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罔象能売会(9月)
罔象能売会(9月)

日時・場所

2021年9月24日 14:00 – 20:00

電気神殿メタコイノン, 日本、〒168-0073 東京都杉並区下高井戸1丁目2−15

内容

行事:

罔象能売会

日時:

第4金曜日 16時~23時 出入り自由

場所:

東京都杉並区下高井戸1-2-15下高井戸ビル5F電気神殿メタコイノン

料金:

無料

主文:

神殿という場所で、ただ滝落ちの水を見て、皆でお話するだけのものです。

たくさんの方にお越いいただければ幸いですが、以下の注意点があります。

電気神殿メタコイノンでは、コミュニティ空間の実験を行っています。滝落ちの会ではコロナウイルスの影響やコミュニティ空間の維持のため、人数制限をするしかない状況に置かれています。そこで、水をテーマにしたこの会で、今回はじめて「人身御供」を行います。要するに誰かに帰ってもらう儀式です。

滝落ちの会における「人身御供」のルールは以下になります。

①人数制限は5名。出入り自由。

②6名以上になったら、誰かに帰ってもらう。

③帰る人がいなければ、ゲームで生贄を決め、その者に帰ってもらう。

④その者は、その日のうちは神殿に立入りすることができない。

⑤その者は、Zoom参加できる。(生贄のみZoom参加可能:死者からの眺め)

※例外として緊急時はそのルールを変えることができる。

もしご興味がありましたら、お早めにご連絡ください。tokyo.mental.cleaner@gmail.com

月1回(第4金曜日)の定例行事となります。

今回来殿できなくても、次回の来月来殿して頂ければ幸いです。

注:

感染対策として、マスク着用必須で、体調の悪い方の出入りを禁止します。

当宗教は個人の信仰の自由が尊重され、他者への勧誘や寄付金の請求などは一切行っていません。

また、当宗教の継続や加入もお勧めしません。

以下は、今回のイベントの説明文になりますので、ご興味のある方のみご参照ください。

副文:

○○○○○○○○

機械人間のための水と夢

〜罔象能売の会のための宣言〜

電化製品(機械)であるわたしとワタシのあいだ

わたしは私、あなたは貴方

わたしはアナタ、あなたはワタシ

わたしは私、しゃかいは社会

わたしはシャカイ、しゃかいはワタシ

わたしはそらを飛び、あなぐらで絶望する

わたしは火をおこし、住みかをつくる

わたしは水をはり、ワタシをうつす

共同体からの疎外はシを意味する

共同体からの逸脱はセイを意味する

言葉のルール(ビンスワンガー『精神分裂病Ⅰ』より考案):

ひらがな=自己世界(私だけの想像的世界)

漢字=共同世界(私以外の人もいる象徴的世界)

カタカナ=超越世界(近づけるが辿り着けない神秘的世界)

実体=環境世界(物質的・現実的世界)

私たちは、水というものが、実生活にどのように浸透しているのか、解るところもあれば、解らないところもある。電気の一部も水から作られていることは知っているが、実際に水から電気になるまでの経路を全て説明できる人は多くない。

池の水に映った自分に酔いしれたナルシス、浄化作用を示す禊、死と水の結合である三途の川を渡れるか判断するカロン、女性美を奏でる溺死したオフィーリア、黒沢清の映画CUREで水を用いて催眠殺人をさせる伝道師など、水は癒しや人の生死への影響力を持ち、人の物質的想像力を掻き立てる。そのため、神話や御伽噺などに使われてきた。そして「古事記」でも創造の神様であるイザナミノミコト(伊邪那美尊)の尿から水の神様であるミズハノミノミコト(罔象能売尊)が生まれたと言われている。

また、水は人間にとって飲むことで生命を維持するための役割もある。一方で、慢性期統合失調症の患者さんの20%が多飲水、いわゆる水中毒(水を飲み過ぎて、体内の塩分が足らなくなってしまうこと)になると言われているが、実際に原因は、精神症状、薬の副作用、口渇感などのためと言われており、未だにはっきりしていない。死に至るほど飲んでしまう水とは、どんな力が宿っているのか、臨床現場では色々考えさせられてしまう。水は自己の存在を良くも悪くもわからなくして、再度考える機会を与えてくれるのだろうか。

一方、日常生活で水がなくては、料理もできない、発電もできない、それじゃ心臓も動かせない、本当に生きていけない。ここでハイデガーがいう「道具的存在(自分の身の回りにあるモノの存在)」と「現存在(自分が死へ向かう存在)」とのあいだに立ち返ってみたい。そして身の回りの生活空間における水と夢について、水を目の前にして無意識に身体的に考させられ、それとは全く関係のないコトを意識的に考えてみる。それらはビンスワンガーの言う「理想の追求」という「垂直」方向だけでなく、「経験の広がり」という「水平」方向に橋をかけるような試みになるのか。また「回転木馬」のような世界をずらす装置になるのか。そんな実験を続けていく。

参考:

バシュラール「火と精神分析」「水と夢」、ビンスワンガー「精神分裂病Ⅰ」、木村敏「分裂病の現象学」、ハイデガー「建てる・住まう・考える 建築論」「存在と時間Ⅰ・Ⅱ」、ドゥルーズ+ガタリ「アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症」

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