あいだに宿る意思
- 13 時間前
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新電気神殿メタコイノンにて、新たな試みとして「神殿デコレーション」という、ひとつのプレ企画が立ち上がった。
これまで神殿では、四元素――火・土・水・風――を暦に沿って巡らせてきた。
季節が巡るように、元素もまた巡る。
そして今回、「土」のタームが巡ってきた。
火が世界に最初の熱をもたらしたのだとすれば、土はその熱を受け止め、形を与える元素である。
燃え尽きたものは土へ還り、土はそれらを静かに抱きとめる。
土は、あらゆるものが還り、再び生まれなおすための場所である。
今回、新神殿に招かれたのは、中国古代神話における創造神・女媧であった。
女媧は黄土をこね、人間を生み出した神である。
また、天が崩れたときには五色石を溶かし、その裂け目を塞ぎ、世界そのものを修復したとも伝えられている。
土とは、生命を生むものでもあり、壊れた世界をもう一度つなぎ直すものでもある。
女媧が神殿にもたらしたのは、「死後、土へ帰る道を案内する存在をつくる」というワークショップだった。
人は土から生まれ、やがて土へ還る。
その帰路に寄り添う存在を、深刻になりすぎることなく、土から生み出してみようという試みである。
はじめに女媧は、五行――火・土・金・水・木――について語り始めた。
世界は対立によって成り立つのではない。
火は燃え尽きて土となり、土は金を育み、金は水を生み、水は木を養い、木は再び火を生む。
一つのものは終わるのではなく、姿を変えながら次のものを生み続ける。
循環こそが世界を支えている。
そして女媧は続けた。
昔にはなかった流れが、いまの世界にはもうひとつある。それが「電気」だった。
電気は五行には含まれていない。
けれど金属を走り、水の気配に寄り添い、目には見えないまま世界を結び続けている。
土は電気を遮る。
しかし、その土が川筋を形づくることで、水は流れ、その流れに沿うように電気もまた世界を巡っていく。
土は道をつくり、水はその道を流れ、電気はその流れを静かにつないでいる。
その川は、やがて生と死の境界を流れる川ともなる。
黄泉の川とも、忘却の川とも、三途の川とも呼ばれる。
すべてのものは、いつかその流れに辿り着く。
しかし電気は、その川を照らす光ではない。
見えない流れであり、微かな震えであり、どこか遠くから届く呼び声である。
だからこそ、その流れには案内人が必要なのかもしれない。
その姿は普段は見えない。
けれど、ふとした瞬間にだけ現れる。
死がいつ訪れるのかわからないように、その存在もまた、いつ現れるのかわからない。
女媧とは数度にわたり打ち合わせを重ね、事前に粘土で導き手の試作も行った。
そして当日、神々は新電気神殿メタコイノンへ集った。
新たな試みについて耳を傾けながら、電気ブランのレーズンサンドを食べ、牛乳を飲み、他愛もない会話を交わした。
神々の話は、いつしかどこまでが現実で、どこからが空想なのかわからなくなった。
訳のわからない話をしながら、それぞれが粘土を手の中で転がし、ゆっくりと形を生み出していく。
土をこねることは、言葉をこねることにも似ていた。
意味になる前のものを手の中で探り、まだ名前を持たない存在に輪郭を与えていく。
この日、神殿に集った神々は、奇しくも四元素を備えていた。
土は女媧。
風は二柱。
一柱は風伯。風を起こすだけではなく、その強さや向きを調え、袋の中へ風を収める神である。
風とは、ただ吹くものではなく、均衡を保つ力でもある。
もう一柱は飛廉。
鹿の身体に鳥の頭をもつ異形の神。
風の速さと自由、そして予測できない逸脱そのものを象徴していた。
火は二柱。
祝融。
南を司り、夏を司る火の神。
獣の身体に人の顔をもち、原初の火をその身に宿していた。
まるで神殿のなかだけ夏が訪れたかのようだった。
水は湘夫人。
湘江の流れを司る女神。
記憶を運び、別れと再会を静かに映し続ける水である。
この日の会話もまた、その水に包まれるように流れていった。
こうして神殿には、再び四元素が揃った。
神々は目には見えないものについて語りながら、それぞれの導き手を形づくっていった。
ここから先は、私の空想である。
火と水は、ときに争う。
生成と死滅。
秩序と混沌。
その二つの力のあいだで、風伯は均衡を保とうとし、飛廉はその均衡を軽やかに揺さぶる。
そして土だけが、そのすべてを静かに受け止めていた。
完成した導き手たちは、どれも人間らしくなかった。
丸いもの。
獣とも鉱物ともつかないもの。
言葉になる直前のもの。
まだ名前を持たないもの。
女媧が最初に黄土をこねたとき、人間もまた、このような曖昧な輪郭をしていたのかもしれない。
土とは、完成された形ではない。
まだ何者にもなり得る可能性であり、世界が形を選ぼうとする、その最初の「意思」である。
では、この日、神殿に装飾されたものとは何だったのだろうか。
それは粘土でもなく、神々でもなく、物質そのものでもなかった。
装飾されたのは、物質と物質との「あいだ」に生まれる、小さな「意思」だったのかもしれない。
火と土のあいだ。
生と死のあいだ。
人と神とのあいだ。
そして、人と人とのあいだ
その「あいだ」には、目には見えない何かが静かに流れていた。
誰も触れることはできず、誰も見ることもできない。
けれど確かに、神々のあいだにも、人々とのあいだにも、粘土から生まれた導き手たちのあいだにも、小さな流れが生まれていた。
もしかすると、それこそが「電気」だったのかもしれない。
土が世界に形を与えるのだとすれば、電気は、その形と形、その存在と存在を静かにつないでいる。
そして、その流れは、やがて水へと受け継がれていく。
次回、神殿は「水」のタームへと巡る。




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