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物を動かすこと

  • 2月15日
  • 読了時間: 2分

2022年の搬送車(横面)


神殿の移転に伴い、物々を動かす機会に直面する。


とくに大きなものや重いものを動かすには、少々の考慮が必要となる。

エレベーターに乗るのか、この階段は通れるのか、軽トラックに乗るのか、どの持ち方がいいのか、どこに置くのか、トラックから落ちないのか、身体が壊れないか、何回往復すればいいのか、などなど、想像力が刺激される。


物を動かすときには、物理学的にはエネルギーという概念が思い起こされる。エネルギーは、質量×時間×距離で導き出せるようで、物を運ぶのには、エネルギーが必要である。そしたら、物を運ぶ前に、エネルギーになるためのご飯を食べなくてはいけない。そのエネルギーを産出するためのご飯と思い、食べるご飯はなんだか味気ないが、ご飯に特別な意味を感じて、モリモリと摂取する。さあ、やってやろう…みたいなモチベーションになり、運ぶのが困難な重いものを運べた後には、まるでサッカーのゴールキーパーがピンチを救ったときと同じように、ガッツポーズでもしてしまう。物を運ぶ面白さは、思った以上に深淵なのかもしれない。


物を運んだ後には、必ず身体に何かが残る。言ってしまえば、筋肉痛であるが、物を動かした出来事の痕跡が身体に刻み込まれた感覚がある。物を動かした翌日にそれを噛み締めながら、当日の戦いを思い出し続ける。筋肉痛が和らぐとともに、その思い出もだんだん薄れていき、また物を動かすときに、ふと頭にぼんやり思い出される。身体と記憶のあいだは、じつに近いことを感じる。


やはり神殿はここに在ることが大事で、場所を定期的にメンテナンスすることで、身体や精神がここに在ることを思い起こされてくれる。

 
 
 

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