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加具土の会を終えて

焚火をすることに慣れてしまった。ここで感じたことは、他者と会話しているときに、その会話内容に興味があるのかどうかは、ある程度のパーセントで表せるのかもしれない。すごく興味がある話から、まったく興味がない話まである。それは誰でもあると思う。しかし火がそこにあることで、そのパーセントをごちゃごちゃにしてしまう。コミュニケーションは人と人との間であると言うが、実はそこにはたくさんのモノやコトが媒介しているように思う。火が知らない間に、そこに入り込み、火から生まれた物質的想像力(バシュラール)により、思考が大きく違うところに飛んでいくようなアクシデントをもたらすことがある。それは、心地良いことでもあるし、不愉快なことでもある。まるで予想できない裁判みたいなものだ。


とりあえず、火が消えないように、薪をどんどん入れていくと、別に人間や社会との関係を断ち切ってもいいような気がしてくる。でも結局そこには見えない何かで結ばれている。一つだけ言えることは、無理して話さなくても、火が勝手に話をしてくれるときがあるということ、それがわかったのは大きな進歩だと思う。しかし残念なことは、この会だけで、火から電気が作られていることの証明にはならず、神秘的なものとしてまだそこにあるということ。


次回7月からはテーマが火から水へ移行する。ギリシャ4元素の火、水、土、空気から、今の建築や人間の現存在がどのように反応するのか自身の身体を通して実験してみる。


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